愛することは思いやりの続き

受験生。勉強時々岡田准一くん。

担当の移り変わり




今年18歳ですから、所謂ジャニヲタになって7年くらいはたつでしょうか。

小学5年生の時に、現Hey!Say!JUMPの知念侑李くんを好きになってから、わたしの心はジャニーズに持ってかれました。
明確には覚えていませんが、初めての“担降り”の経験もすぐでした。
知念侑李くんの大好きな先輩が所属するグループの、櫻井翔くんを好きになってしまったのです。
が、この愛も長くは続かず、早々と大野智くんに担降りします。
これは(私としては)長かったです。

中3で受験生にも関わらず初めてのコンサート“popcorn”に入り、席はアリーナ花道真横。ワイルドアットハートでメインステージの方に下がっていくムービングステージから大野智が!!!!!私のことを!!!!!指差したのです!!!!!
これはもう死んでも忘れない最初のファンサでした。
そして高1になって2回目のコンサート“LOVE”に入りました。席はスタンド中列。微妙中の微妙でした。(『入れるだけでありがたく思え!』と言う声が聞こえてきそうですね)パフォーマンスはあとからBlu-rayで楽しませてもらいましたが。愛を歌おうは感動の涙でした





ここまで嵐ファンとして楽しく生きていたのですが、高1の冬予想もしていなかった衝撃が走りました。



永遠の0”を見て、岡田准一くんに運命を感じてしまったのです。




もともと戦争映画は好きではなく、岡田准一くんの存在もあまり鮮明には知らなかったので(笑)、母に連れられて無理矢理鑑賞させられたのでした。

ですがそこには恐ろしい戦争映画というよりも、あたたかい家族の愛と岡田くんの存在感が映っていました。


この人はなんて格好いいんだ!!!


衝撃は半端なものではなく、その後ひとりで3回映画館に行き同映画を鑑賞しました。初回鑑賞が2月だったので、公開と同時に見ていればもっと見ていたかもしれません。




この頃から、大野智くんの担降りを真剣に考え始めました。
というのも、嵐への愛が冷めていったのが原因です。
VS嵐を見逃し、嵐にしやがれを見逃し、シングルの予約を忘れ、、、数えたらきりがありませんが、自分でも気付かないうちに頭は岡田准一くんでいっぱいになっていたのです。

コンサートに行けば変わるかな、と思いつつDIGITALIANに応募、落選。
もうダメだ、と思いました。
決して大野智くんを嫌いになったわけじゃありません。
嵐も嫌いじゃありません。
でもわたしの中でピリオドが打たれたのは落選メールをひらいた瞬間だったように思います。




こうしてわたしは、岡田准一くんに担降りしたのでした。ちゃんちゃん






私の愛って意外と薄っぺらいな・・・・(笑)